役所づとめのきじばと

ウイングあつかましい言論ゼロカスタム

エモいってなんなんだよ

私見でしかないが、それは興奮より諦めで見かけよりも生ぬるく、話してみると意外に明るく、人見知りのしない性格の12歳で成長止まった、現95歳のご長寿自慢みたいなもんで、絶倫というより生殖機能失って、天使のような微笑みをまれにする。アイスの棒をいつまでも噛んでるときの感覚で、財布を持たずに夜の街を歩く贅沢、数珠買うために、夫殺したり、猫飼ってもらうために猫かぶる。あんよは生まれたときから上手で、いまさら東大目指す30手前。なにものにも否定されて、おれもそれに追随するが、手を伸ばしてやったときには、そこにいるのはおれ。母親よりも父親が知ってそうで、太った犬より、干乾びたミミズが知っている。ラストチャンスを逃しても生き延びてるようなそんな気分。

スケベ用語として「エモい」が使われているらしいことを知る。直接的ではなく、なんか胸にくる感じ。股間よりも。ちょっと違うような気がしてるが、そもそもおれはこの感覚になんの自信があるんだよ。おれのではない感覚。簡潔に言おうとするなら、「さび」というのと似ている、「ない」という美学。しゃらくささの微塵切りを払ったらなんにも残らないそれと似ているというだけの感覚。

とんかつよりも添え物のキャベツ、キャベツよりも皿にぬじられた芥子。芥子の色より、山葵の匂い。山椒を山ほどかけたうなぎ。台無しな場面にも、たまに感じる。下手糞だし、どちらかといえば嫌いだし、どっか遠くにいてほしい。気にならない距離にいても気に入らないし、死ねとかいって単純に終わらせたくない。せつないといってしまうほど身も蓋もなくはない。こんがらがった風を見せびらかして、その実澄ましきった。堕ちたくても堕ちるだけの高さにいないと知ってしまうそんなこと気にしてなかったけれど、否応なく気付かされた、暇な女子大生のtwitterを読んでる中卒の気持ち。

老人ホームごしにいまいち欠けたお月様と、電灯を並べて撮ってみて、なにがいいてぇんだよ、おれは、と。いいながら安心して寝ることのできる毎日を過ごしているものには何の縁もゆかりもない感性。そう思います。