6万くれだよ
「6万くれだよ」
だるそうな声で、耳元でつぶやくのは誰だ。生ぬるい風が当たる。エアコンの風だ。エアコンの風は苦手だ。
「6万くれだよ」
目が開かない。閉じたままでいい様な気がする。眼底に、もう何年も前に閉店した酒屋のシャッターが見える。錆び付いてだぶついている。
「6万くれだよ」
勝手に持っていってくれ。財布に入っているはずだ。確か、今日おろした。はずだが。今日は今日か?ひらべったい、ひんやりしたコンクリに寝かされている。寝ている。立っているのか。
「6万くれだよ」
男の声だ、と思う。鼻にかかった、声。声だけしている。眠い。
「5万くれだよ」
悪い。金額の問題じゃない。声を出そうとするが出ない。出し方が分からない。口だけは動く。口と舌だけ動く。喉が渇く。喉だけ渇く。水が欲しい。水。
「6万くれだよ」
水をくれよ。気が利けよ。分かれよ。俺に頼むなよ。ケツに感触がある。なんだこれ。指?指のような、ぬめりがある。履いてないのか。おれ。え?なんで?
「6万くれだよ」
履いてなかったら悪い。財布がない。他の、他の人をあたってくれ。本格的になにもないぞ。余所にも6万あるよ。だれでも、6万くらい持ってる。切羽詰った事情、話したらきっと、くれる。つーか働けや。うすうす働けないタイプの人だって勘付いてるが。つーかやっぱ6万じゃなきゃだめなのかよ。
「6万くれだよ」
何代?何賃?何費?いますぐいるのか。あぁいらつく。乳をあててくるな。さっきから。乳を二の腕に。雄の乳はあててもだめだ。二の腕に。雄の二の腕にあてても、逆効果。メリットなし。
「6万くれだよ」
諦念。諦め。執念の反対語。おまえには、そういう嗜みがない。だからだぞ。だから。
「6万くれだよ」
抱きしめてやりたい。抱きしめてやったらこいつはもしかしたら成仏できるのか?体はやっぱり動かない。ほんと、諦めよう。ふたりして。ふたりは、諦めよう。
「6万くれだよ」
おれは諦めたよ。はい。終わり。はい、終わりだから。もういっさい聞かない。なんにも聞かない。
「6万くれだよ」
そういや、ズボンなくて財布ないってことはうちに帰る電車賃すらないってことに気付く。たぶん、そんなもんもいらないんだろうとも、気付く。